猫という名の皮を被った人間たち

社会

猫が我が家に来るという衝撃

昨今は猫ブームとか言って猫の動画や映像がやたらとテレビでも紹介されるようになったが、世間が思っている猫に対するイメージと、私が思っている彼ら(猫)の認識とはちょっと違うので、それを紹介したい。

ブームに一石を投じるわけではないが、少しでも猫である彼らの事の理解が進めば幸いである。

私は実家で今まで三匹の猫を飼っていて、三匹亡くなり、今は四匹目が実家にいる。

二匹は動物病院からもらってきて、二匹は買った猫である。

一番最初の猫が家に来たときは、心躍ったものである。

自分が小学生高学年の時、突如家に現れた毛むくじゃらでふわふわした、何とも言えない魅力に包まれた、小さいおもちゃのような茶色の塊は、私の心をつかんで離さなかった。

生後2〜3カ月くらいだったと思う。

学校から家に帰るのが楽しくてしょうがなかったことを覚えている。

自分が使っていた勉強机に備え付けられていた、鉄製の平たいかごに、タオルを敷いて、それを寝床にした。

自分のものが役に立っている、そのものがそこに寝ていることに、何とも言えない嬉しさがあった。

いわゆる、かわいい、などという言葉ではとても言い表せない感情に、しばらくはずっと心が支配されていたと思う。

かわいいではない、心がふわーとなる、心が歓喜のようなもので充満し、愛おしいとでもいうのか、それが自分の中ではっきりと強く感じられ、起きればまた会える、帰ればまた会える、と嬉しくなる。

自分の人生の序盤に、その存在は自分の心に大きく流れこみ、食い込み、刻み込まれた。

ツンとしたお姉さん、一匹目の彼女

最初の衝撃的な出会いから、彼女(メスだった)は大きくなり、やがて人格がはっきりとしてきた。

彼女は、元は捨て猫だったが、気が強くて頭が良く、スレンダーで、運動能力も非常に高い、いつも凛としていて気高く、少しツンとしている、怒ると怖い、自分のお姉さんの様だった。

外に一人で散歩に行くようになると、喧嘩をしてきたのか、血が付いているが、それは彼女の血ではなく、どうやら他所の猫の血だった。

そんなことが何度もあり、たまに鼻に引っかかれた跡がついていることもあったが、喧嘩が強かったんだと思う。

他所の猫に怪我をさせる、というのはあまり良くないことなので、自慢にはならないが、怒ると敵なしだった。

ご飯をくれとねだられたとき、目を見てはっきりと強くみゃおーと圧迫してくる。

わかった、わかった、といい終わった瞬間に合わせてみゃおーと間髪入れずに目を見ながら言ってくる感じに気圧されるが、仕事帰りで疲れていたので、面倒くさいから返事だけしてそのままにしていた。

すると、三回目くらいに彼女が叫んできた時、返事もせずに無視してテレビに目をやった瞬間に、腕をかまれた。

何か、ふにゃごろみゃーみたいな、声にならない声を発しながら、すごく怒った顔で腕を噛んできた。

これは、自分が悪い、こんなにちゃんと訴えかけてるのに無視したから、そりゃ怒るな、と思って、慌ててエサをあげた。

こんな猫は、後にも先にも彼女だけだった。

怒ると怖いが、普段は、寝ている時に頭を乗っけても文句を言わなかったり、そのふさふさの体をほどほどに触ることは許してくれていた。

調子に乗って触りすぎると怒られる。

どんくさい弟、二匹目の彼

そんな彼女が中年に差し掛かった頃、二匹目が家に来た。

同じく赤ちゃんの時に家に来たが、もちろん嬉しかったものの、猫というものに慣れたのか、自分が成長したこともあったのか、最初程の衝撃ではなかった。

彼は、臆病で、運動音痴でどんくさい、ぽっちゃりしていて、生きがいはご飯を食べることで、触られるのがとにかく嫌いで、持ち上げようものなら、うぎゃーと怪獣みたいな声を上げて暴れ、下におろすとどっかに走っていった。

可愛くない弟が来た。

こっちは、そのふわふわの毛を触りたいと思ってしまうが、彼はとにかく嫌がる。

気持ちよいであろう首を優しくかいても、その触った後の場所をすぐに足で振り払うかのようにかきなおす。

だから、寝ている時に様子を見てつんつんしたり、軽く額を触るくらいでいた。

そんな彼だが、人がこたつに入っている時、寝転んでいる時、膝の上や体の上に乗ってきて寝るという習性があった。

触られるのは嫌だが、人の熱があるからか、自分から人の上に乗るのは良いらしい。

一匹目の彼女は人の上に乗ってくるような、甘える様な感じが一切なかったから、これはこれで新鮮だった。

彼は体を動かして遊ぶことをあまり好まず、多少おもちゃに興味を示してちょっと手は出したり反応こそするものの、すぐ止めてしまう。

一匹目の彼女の様に、外に出してくれないと怒る訳でもなく、窓から外を眺め、ゴロゴロしたり、少し時間が空くとご飯をねだり、順調にコロコロに太っていった。

時が立ち、一匹目の彼女は老齢になり、腎機能がうまく働かなくなり、やがて以前ほど活発に動くことはなくなった。

以前とは違う鳴き方を夜にするようになったり、医者によると認知症も発症しているとのことだった。

それでも、あまり動かなくなった彼女に近づき名前を呼ぶと、こっちに顔を向けて優しくまばたきをするのだった。

ある朝、彼女はこたつの中で亡くなっていた。

いつか、この日が来るとは思っていたが、あまりにあっという間の20年だった。

アイドルの弟、三匹目の彼

一匹目の彼女が息を引き取ってしばらくして、また新しい弟が出来た。

彼は、毛が長い種類の猫らしく、いつもフワフワの長い白い毛をふりふりしながら、愛嬌を振りまいていた。

彼は、とにかく人に触られるのが好きで、頭を撫でようとすると、触ると同時に頭をぐいっとこっちに押し付けてくる。

お腹を触ろうものなら、嬉しそうに横になってお腹を見せて来る、時には舌がペロッと出ていたりする、アイドルのような子だった。

運動能力もそこそこあり、おもちゃで遊ぶのも好きだし、外に出て草を物色したり、地面で寝転んだりも好きで、ご飯もよく食べ、頭も良い。

彼は人生を、いや猫生を満喫する、高気圧ボーイだった。

同じ猫でも、一匹目の彼女や二匹目の彼、とも全くタイプが違う、まるで日本人とスペイン人位違うんじゃないかというくらい、何もかも違う。

ちなみに、二匹目の彼は、祖先はアメリカだが、アメリカらしさは皆無だった。

一匹目の彼女がいなくなって、寂しさを感じている我が家で、三匹目の彼は、その愛嬌でみんなを落ち込ませなかった。

やがて、日が経ち、二匹目の彼も、旅立ちの時が来た。

二匹目の彼は、年を取っておじいちゃんになっても、食欲だけは旺盛だった。

彼も認知症で、食べたばかりなのにご飯をねだり、上げると全部食べてしまうが、後に吐いてしまうということを繰り返してはいたが、亡くなる前日もご飯をたくさん食べていた。

一匹目の彼女と同じく、こたつの中で息を引き取った。

やんちゃな弟、4匹目の彼

そして、さらに時が経ち、さらに新たな弟が家に来た。

4匹目の彼は、やんちゃ坊主で、いたずら好きであり、今でも実家に自分の部屋の片づけに寄ると、必ず自分の部屋に入ってきて、片づけをしている自分を尻目に部屋をウロウロし、手を出してものを転がしたり、段ボールのよじ登ったりして、片づけを手伝ってくれている。

触られるのは決して好きではないが、しぶしぶ触るのを許してくれる。

運動能力もかなり高く、人に臆せず、平気で近づいてきて、何か遊ぶことをいつも探している。

3匹目の彼の様に甘えてくるようなことはしないが、よく食べ、よく遊び、中肉中背でがっしりとしていて、もしかしたら、今までの彼らの中では一番オーソドックスな猫的な猫かもしれない。

私は、4匹目のやんちゃ坊主の彼が来る前に、実家を出ているので、4匹目の彼と昼夜を共にしたことはないが、たまに実家に帰る時に、彼は臆せず自分に近づいて来る。

3匹目のアイドルの彼は、老齢になって息を引き取り、今は4匹目の彼だけになっている。

3匹目の彼は、年をとってやはり腎機能がうまく働かなくなり、ご飯を食べる量も減ってかなりやせてしまっていたが、頭はしっかりしていて、たまに会いに行った時には、変わらずに撫でられると頭をグイッっとやってこっちに、愛嬌を振りまいていた。

非の打ちどころのない彼だったが、今までの3匹の中では一番早く亡くなってしまった。

やんちゃ坊主の4匹目の彼が、今は実家で愛想を振りまいている。

少し大人になり、やんちゃ坊主というか、やんちゃおじさんのようになっているが。

彼らは猫であり、猫でない

幸運にも、私は彼らと長年接する機会があり、彼らにたくさんのことを学ばせてもらった。

彼らと接して分かった一番の大きなことは、彼らは猫であり、猫でない、ということだ。

どういうことかというと、彼らは外見は猫であるが、魂には人格が宿っている。

毛むくじゃらで、耳がぴんと立っていて、ひげがあり、肉球が付いていて、目がぱっちりとしていて、にゃーと鳴くが、中身は人間と変わらない。

猫=かわいい、などという単純な構図でもなんでもなく、猫が家にいると分かるが、人格がそこにある、ということ以外に他ならない。

猫がいる、というより、あいつ、そいつ、彼、彼女、がいる、という認識の方が先に来る。

その彼、彼女のプラスの面も、マイナスの面も、ひっくるめて一緒に暮らすわけで、人間と変わらない。

上記にある通り、人懐っこいやつもいれば、コミュニケーションが苦手なやつ、運動神経が良いやつも入れば、運動自体が嫌いなやつ、気が強いやつもいれば、臆病なやつ、物分かりが良いやつ、要領の悪いやつ、千差万別である。

それは、猫に限らず動物全般に言えることかもしれないが、それを、世間の人達はどれくらい理解しているのだろうと思う。

本人たちは、かわいいと言われるために行動していない、だからこそかわいく見える、というのはあるかもしれないが、猫が皆、懐いてすりすりしてくる、かわいくおねだりしてくる、などというのは完全なステレオタイプである。

三匹目の彼は、まさに可愛がられるタイプだったが、それは彼がたまたまそういう性格だっただけだと思う。

最近は、よりたくさん猫の動画が世に出てきて、理解も深まってきていると思うが、まだまだだと思う。

よくテレビで、タレントたちが猫の動画を見て、すぐにかわいいかわいい、と、ちゃんと見もせずにコメントするのを見るが、危険だな、と思う。

かわいい、かわいくない、というのではなく、こいつはどんなやつか、という人間性で見るべきで、それが彼らと接する醍醐味であると思う。

もし、猫はかわいいもんだ、という固定概念で猫を飼い、抱いても暴れるし、汚い泣き声で泣き、トイレなどの物覚えも悪い、となった時、酷い人は虐待するのではないかと思ってしまう。

それは、人間の赤ん坊にも言えることかもしれないが、他の人格を自分の思い通りになどできない。

色んな性格の人格があり、例え懐かなかったとしても、それは飼い主にだけ懐かないのではなく、誰にも懐かないやつかもしれない。

そういう、全く懐かない人格と一緒に暮らす、ということが、また面白い。

ご飯が欲しい時だけ話しかけてくるが、それ以外は一切話しかけてこない、というのも面白い。

しぶしぶ触らせてくれているのも、つまんなそうにこっちを見ている顔も面白い。

ちなみに、猫は、基本的につまらなそうにしてる顔がデフォルトであると思うと良い。

それは、安心している証拠であり、野良猫の様に、常に警戒する必要がないからこそ見せてくれる、特別な顔である、と思う。

これから猫を飼おうと思っている人は、彼らがどんな性格でも受け入れよう、一緒に生きようと、覚悟して、迎え入れ、その性格を楽しむと良いと思う。

むしろ、思い描いていた猫象が壊れてこそ、彼らと接する醍醐味がある、とも言える。

彼らは弱音を吐かない

彼らを尊敬する所は、彼らは、弱音を一切吐かなかったことだ。

一匹目の彼女、は避妊手術をして、病院から帰ってきた時、包帯を下半身に巻いていて、頑張って歩こうとするが、どうしてもフラフラして倒れてしまう、ということがあった。

こんな運動神経の良い丈夫な彼女が、こんなにフラフラするなんて、よほど体がだるいか、傷が痛むか、だろうと思うが、何も言わなかった。

苦しんでこっちに訴えてくることも、かんしゃくを起こすこともなく、ただ普通にしてるだけであった。

一匹目の彼女も、二匹目の彼も、三匹目の彼も、年老いて、体の調子が悪くても、何も言わない。

腎臓の調子が悪くて、トイレに行っておしっこが出なくても、しんどいとも何も言わない。

彼らは全員、生まれてから、亡くなるまで、弱音など一切言わなかった。

元気がないことはあっても、機嫌が悪くなることはなく、死ぬことが怖いとも言わない。

彼らには、それらを認識する能力がない、という人はいるかも知れないが、同じことが出来るのか?と思う。

人間だけが、何かと弱音を吐き、死を怖がって、自ら命を絶つ者もいる。

彼らの生きざまを見ていると、私など何てちっぽけなんだろうと思う。

彼らの4倍も生きれるくせに、生きているということに後ろ向きになることが多い。

余計なことなど考えずに、文句も言わずに生きる彼らと接していると、そんな気持ちを忘れさせてくれる。

彼らは触られたい訳じゃない

彼らは、フワフワの体を持ち、手にはぷにぷにの肉球を持っている。

そんな彼らを見ていると、ついつい触りたくなってしまうが、彼らは必ずしも触られるのを好まない。

触る時には、彼らの了解を取る必要がある。

いきなりお腹や背中をわしゃわしゃしてはいけない。

よく考えてみると、自分がもし、自分より大きな存在に、いきなり頭を撫でられたり、背中をさすられたりしたら、なんだよ、と思うはずで、それと同じである。

子供の頃は、触りたい、という強い衝動を抑えつつ、恐る恐る触らしてもらっていた。

今まで4匹と接した中で、唯一3匹目の彼だけ、触って欲しい、触られるのが嬉しい、というタイプだったが、それ以外の三匹は、触られるのが好きではなかった。

どの猫も基本、好きではないと思う。

そもそも、生きる上で触る必要自体がないから、当たり前といえばそうかもしれない。

触られるのが好きでない三匹でも、額を軽くなでたり、首をかくように触るのは、無難な方法だった。

それも、普通に座っている時より、スフィンクスみたいなお腹を付けている時や、寝転がっている時に触らしてもらうと触らしてくれる。

一匹目の彼女は、寝転がっている時に、お腹を触っても怒らずに許してくれていた。

二匹目の彼は、お腹はもちろん、首も嫌がったが、おじいちゃんになると、首は気持ちよさそうな顔をするようになり、触ることに以前より抵抗を示さなくなった。

三匹目の彼は相変わらず、いつ触られても嬉しい、嬉しくなくても嬉しい感じの反応をしてくれる。

四匹目の彼は、しょうがないなあ、という感じで許してくれる。

肉球は、中々見せること自体しないので、難しい。

もちろん、無理に触ってはいけない。

手や足は、掴まれるのをとても嫌がるので、掴んで見ようとしてはいけない。

だから、寝ている時、気持ちが良い時に、お腹を上にしてひっくり返って寝るような時、手が伸びて肉球が丸出しになっている時がチャンスである。

それも、優しく、起こさないように、つんつんする。

猫は敏感なので、寝ている時にお腹をちょんとやっても、起こしてしまう時があるので、気を付けて触る必要がある。

彼らは、その自分たちの体に対して、何も思っていない感じで、人間が触ってくる意味はほとんど分からないから(三匹目の彼のような猫を除いて)、彼らの個々の性格を知った上で、接していくと良いと思う。

彼らの嫌がることは、決してしてはいけない。

顔色を見ながら、性格を見ながら、境界線を探っていくと良いと思う。

触らしてくれないから、嫌いな訳でも、懐いていない訳でもなんでもない。

彼らに去勢・避妊手術をするということ

彼らに対して私が心痛めたことは、彼ら全員に去勢・避妊手術を施したことだ。

もちろん、外に遊びに行った時に、子供を作り、野良に子供を産ませてしまったら、それはその命がどうなるか分からない、というのはある。

家庭内でも、子供が出来、たくさん生まれてしまったら、その子たちの面倒をちゃんと見れるのか、というのもそうである。

自分は子供だったから、その意味がよく分からなかった。

なんとなくそれはするものなんだ、と思っていたが、今思うと、なんともやりきれない。

彼らの合意なく、手術を行い、彼らは文句ひとつ言わないが、これで良かったのか、と、今になって激しく心を揺さぶられる。

当たり前の様に去勢・避妊をし、彼らは、それで満足なのかと。

自分達は猫が飼いたいと思って家に招き、それなりに楽しい日々を過ごすことが出来た、しかし、彼らはどうだ、どう思っているのか?と。

もし、彼らがどうも思っていない、と言っても、これでいいはずがない、と思ってしまう。

彼らは、人間が楽しむためのおもちゃではない、魂が宿った人格である。

出来れば、彼らにも選択肢を持たせてあげたかった。

それが、彼らのことを思い返す度に、自分の胸に強くこみ上げてきてやり切れず、ちきしょうと思う。

もし、手術をしてはいけない、という法律が出来たら、あまりに猫が増えすぎて、死んでしまう命がたくさん出てしまうなら、それはやむを得ないかもしれない。

手術をしてはいけない、ということもまた、人間のエゴである、とも言えるかもしれない。

しかし、自分の家族な訳で、これは、何とも切実な問題だと思う。

環境省の発表によると、2020年4月1日~2021年3月31日までで、猫は、19705匹が殺処分されている。

保健所へ引き取られた猫が44798匹、そのうち返還・譲渡された猫が25385匹、返還も譲渡もされずに19705匹が処分された。

飼い主のいない猫に、手術を施す活動をされている人達もいて、もし野良猫が全て子供を作ったら、とんでもない数の猫が溢れてしまうそうだ。

猫の繁殖力はネズミほどではないがかなり強く、生後半年で子供を産めるようになり、一度に4〜8頭産み、さらに一年に2〜4回出産することも可能で、一対の夫婦猫が一年に2回、一度に4頭出産したとして、親が8匹産み、最初の子供4匹が成長して子供を8匹産み、と考えると、一年で18匹になる。

環境省によると、一匹の猫が、一年で20匹以上、二年で80匹以上、三年で2000頭以上に増える、と試算している。

殺処分19705匹という数ですら想像したくない、とんでもない数なのに、もし野良たちに手術をしなければ、この数が跳ね上がってしまう。

もし家猫に子供を産ませると、育てられない子たちは譲渡したり、どんどん数は増えていく。

もしかしたら、子孫に、殺処分されてしまう子たちがたくさん生まれてしまうかもしれない。

そう考えると、家に招き入れられた猫たちは、去勢・避妊手術をされたとしても、幸せであった、とも言えるのか?

しかし、これ、なんとかならないのか?

彼らにも人格がある、とすれば、やりきれないにも程がある。

理想を言えば、広い庭がある大豪邸で、彼らに子供を一回産ませたら手術してを繰り返して、子供たちは全て家で養えばいいんじゃないかと考えた。

しかし、一年で親が4匹産み、子供が二対で計8匹産み、一年で二匹が14匹に、生まれた8匹(4対)が翌年二月に16匹産み、その子供が8月に妊娠、10月に8対×4=32匹産み、

二年目は48匹増えたので、親も合わせて計62匹になった。

生まれた後に手術をしてもこの数になってしまう。

さらに三年目はさらにすごい数になり、これは、いくら大豪邸に暮らすアラブの大富豪のような人達でも、とてもケアできない、追いついていかない数である。

私の見通しが甘かった。

親は正しかったと言わざるを得ない、現状では。

彼らの繁殖能力と、日本における彼らが置かれている状況から、去勢・避妊手術をしなければ、子供が生まれすぎ、全ての命はカバー出来ない。

むしろ、手術を施してでも、彼らと一緒に過ごし、彼らの一生を見届けることが、後々の彼らにとっては、良い結果になっていくかもしれない。

あまりにも残酷な現実が、こんなに身近に転がっていたとは、思いもしなかった。

これは、政治家たちが議題に上げて、人の生き死にと同じようにどうするのか考えていかないと、到底解決できない大問題である。

猫たちだけでなく、犬や、他の動物たちにも言える問題かもしれない。

猫をかわいい、などと言って、猫ブームなどと言っている場合では、よりなくなってきている。

これは、どうしたら良いんだろう?

現状では、どうも出来ないから、事実上放置されているだけ。

人間の生活で手一杯なんだから、かまっている暇はないと言わんばかりの窮状。

確かにそういう考えはあるけど、それなら、猫に手を出してはいけない。

飼うだけ飼って楽しんで、世間はブームなどと言ってかわいがり、彼らのネガティブな現状をあまり伝えず、後は知らないというのは、あまりに都合が良すぎる。

猫と共存するために、政治家がどうしようか考えているならいいが、本気で解決する気がないなら、飼うのも、買うのも、売るのも、譲渡も禁止、もちろん繁殖させるのも禁止、テレビやSNSなどで紹介するのも禁止、として、猫から一切手を引かなければいけない。

猫は今の所、人間に都合よく扱われ、たくさんの命が日に日に消えていっている。

どうしたら良いんだろう?

残酷な事を考えなければいけないが、今日本に存在している猫たちに、子供を産ませず、数を減らしてく。

野良猫に手術するのは民間でやってくれている人達がいるが、お金も相当かかるから、もっと国が全面的にバックアップしないといけない。

もうすでに国や自治体が助成したり、取り組んだりしているみたいだが、もっともっと頑張ってほしい。

税金をバンバン投入して、やって欲しい。

国会議員の報酬少し下げて。

国会議員の重鎮のおじいちゃん連中は、もう蓄財があってお金に困らないんだから、ガッツリと減らして大丈夫だ。

それで猫が救えるなら。

後は、数が減ったら、遺伝子操作して、子供を2匹しか生めない体にするとか?

それこそ残酷な気もするが、品種改良して人間の要望に合った猫を作り出したりしているんだから、それに比べたら、こういう方向に科学を使うのなら神様も許してくれるかもしれない。

だけど、こういうことをやる前に、無暗に繁殖させないための法律を作る、ペットショップでの販売禁止、チップの挿入の義務付け、など、彼らを守るための法律を徹底的に整備する必要がある。

数も減って、法律が厳しく整備され、人々の猫をはじめペットに対する意識が変わったら、それだけでなんとかなるかもしれない。

猫問題に取り組んでくれている人には本当に頑張ってほしい。

私にも出来る事はしていきたい。

そういうためには、税金が少し上がっても良い。

いや、結構上がっても良い。

そして、彼らは私の頭の中に

彼らと接して、感じたことは、彼らはあまりにも短い人生を生きている、ということだ。

長生きして20年、20年って、こんなにも短いものかと思う。

彼らの赤ちゃんの時から、少年、青年、大人になってから年老いて亡くなるまで、一生を一緒に共に過ごして見守る、こんな経験は、彼らと接していなければ体験できない貴重な時間だった。

年齢に合わせて、少しづつ変化していく人格と共に。

毛むくじゃらの家族、にゃーで全てをしゃべる家族、4本足で歩く家族、彼らは、あっという間に私の前を駆け抜けていった。

楽しかった、ただ楽しかった。

彼らは、私と家族の仲を取り持ち、会話を増やしてくれた。

今も、彼らは、私の頭の中で、元気に駆け回ったり、つまらなそうにこちらを見つめている。

今はまだ、出会ったら別れなければいけないことから、彼らを家に迎えいれられずにいるが、いつかまた会いたい。

今後、彼らが人間と共存出来る、良い環境が出来る事を願ってやまない。

コメント